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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1223号 判決

理由

控訴人は本件小切手は被控訴人が振出したものであると主張し、これを立証するため甲第一号証(小切手)を提出するが、右甲第一号証は被控訴人の否認するところ、控訴人提出の全証拠を以てしても未だ右小切手が被控訴人の振出に係るものであることを肯認することができず、却つて後記認定の如く本件小切手は訴外森秀一が被控訴人名義をもつて振出したものである。又控訴人は右小切手は被控訴人の代理人たる訴外森秀一がその権限に基いて作成したものであると主張するが、控訴人の全立証によつても森秀一において右小切手を振出す権限のあつたことを認めることはできない。

この点につき、控訴人は被控訴人と訴外森秀一との間には右訴外人が被控訴人名義を以て喫茶店営業をなす旨の合意が成立していたのであるから、被控訴人において右訴外人に対しその営業の一切即ち附随的商行為である小切手振出行為についても代理権を授与していたものとみるのが相当であると主張し、被控訴人が右訴外人に対し被控訴人名義で喫茶店「ロア」を経営することに承諾を与えたことは後記のとおりであるから該喫茶店の営業に関しては被控訴人においてその責を負わねばならない筋合であるが、それは被控訴人が自己の名義を使用することを許容したがため被控訴人の営業と信じてなした第三者に対して負うべき責任であつて、控訴人主張のようにその間代理権の授与があつたからではないのみならず、仮りに代理の観念を容れ得るとしてもその権限は右営業に必要な範囲に止るべきもので、それ以外については代理権限のないことはもとより当然であるところ、証拠によると本件小切手は右喫茶店営業とは何等の関係もない株式売買代金の支払方法として振出されたものであることが明らかであるから、控訴人の右主張は理由がない。

次に、控訴人は仮に訴外森秀一にかような権限がなかつたとしても、本件小切手は右訴外人がその権限をゆ越して振出したものであり、控訴人において同人に右権限があると信じたのには正当な事由があつた旨主張するので以下この点について判断する。

証拠を綜合すると、訴外森秀一は昭和二六年頃から控訴人と同棲関係を結び、昭和二九年五月頃大阪市東区北浜二丁目大和ビル五階で証券担保の金融業を目的として日勧証券金融株式会社(日勧証券)を設立してその経営を始めると共に、昭和三〇年三月頃その階下で店舗を借受け、喫茶店「ロア」を開業するに至つたが、その際、右店舗改造費等のため被控訴人から借受けていた約九〇〇万円の担保の意味で右喫茶店の営業名義人を被控訴人とし、右営業から得る収益のうち毎日三、〇〇〇円宛を右借受金の返済にあてることになり、被控訴人から被控訴人名義の営業許可申請をなす承諾を得たので、右訴外人は被控訴人の氏を刻んだ印判を買求めた上、これを使用して被控訴人作成名義の営業許可申請を作成の上その許可を得、その後も右印判を自己の手許に留めおき、これを利用して同年五月一七日から大阪不動銀行淡路支店と被控訴人名義の当座取引を始め小切手帳の交付を受け、右喫茶店営業から生じる債務等の支払にその小切手を振出していたのであるが、同年六月一六日右訴外人が社長をしていた日勧証券が控訴人から買受けた株式売買代金一二〇万円のうち五五万円につき現金がなかつたので、右訴外人は被控訴人に無断で同人名義の小切手を振出し右金員の支払に充てようと考え、擅に本件小切手を作成の上、控訴人に対し「振出人は医師をしており、自分と内縁関係がありこの店の名義人であるから絶対間違いない」旨申向けてこれを交付した。ところが、控訴人は以前から日勧証券と株式の売買等をしていたが、すべて現金取引で小切手払の如きことはなかつた上、一般に株式の売買にあつては現金取引がなされるのが通例で、小切手取引の如きは通常ありえないことであると考えていたのであるが、当時喫茶店「ロア」においてはその仕入先に対し被控訴人名義の小切手が振出されていたことを見聞していた上、右店舗の名義人が訴外森秀一と内縁関係にある人であるとの噂が右訴外人の言明により裏書せられ、且つ電話簿によつて被控訴人が医師として開業していることを確認したので、右小切手が真正に成立したものであり、確実に支払われるものであると信じてこれを受領したものであることが認められる。

右認定事実によると、訴外森秀一の本件小切手作成行為は同人が被控訴人からその名義使用の承諾を与えられた喫茶店営業の範囲をゆ越してなされたものであり、且つ控訴人においては右小切手は被控訴人名義をもつて振出す権限を有する右訴外人によつて真正に振出されたものと信じてこれを受領したものであることが明らかであるから、控訴人がかく信じるについて過失がないと認め得られるならば民法第一一〇条を類推適用し被控訴人に本件小切手金の支払を請求し得るものというべきではあるが、本件小切手は前記認定の如く右喫茶店営業から生じた債務の支払方法として振出されたものではなく、日勧証券の株式売買代金債務の一部として振出されたものであり、しかも証拠によると控訴人は被控訴人が日勧証券の経営には何等関係がないものと思つていたことが認められ、又控訴人は株式売買においては現金取引のみが行なわれ、小切手取引は通常行なわれないものと考えていたのであるから、控訴人としては少くとも被控訴人が如何なる理由で日勧証券のために小切手を振出さねばならないかについて疑念をいだくのが当然であるのみならず、被控訴人が訴外森秀一と多年同棲関係にあつたからといつて、ただこのことのみによつて日勧証券の株式売買代金債務を負担するが如き特別の事柄について右訴外人に代理権が授与されているものと速断することは早計に失するものである。もつとも、控訴人は原審並びに当審において喫茶店「ロア」と日勧証券とは互に現金を融通し合つていた旨供述するが、これも喫茶店の経営者である訴外森秀一は日勧証券の社長をも兼ねていたのであるから右訴外人において金員を互に融通し合うことについては特に異とするに足りないが、それだからといつて、ただその名義人にすぎず或は同棲関係があるにすぎない被控訴人が右日勧証券の債務を当然に負担すべきいわれはないのである。かかる事情のもとにおいては控訴人としては被控訴人に対し右小切手振出の真意を一応確めるのが当然であつて、控訴人においてこの点を確めないで訴外森秀一に右小切手振出について被控訴人を代理する権限があるものと判断したのは甚だ不注意であつたという外なく、控訴人主張のその余の事情も右過失を否定する事由とはなし難い。してみると、控訴人において訴外森秀一に右代理権限があると信ずるについて正当な理由があつたものとすることはできない。

そうすると、控訴人の本訴請求はその余の判断をなすまでもなく失当として棄却を免れない。

よつて、これと同旨の原判決は相当。

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